窓外:たまたま回っていたカメラの話
連載コラム「窓外」第7回。巡視艇のカメラが揺らぎの開口を鮮明に記録したという今日の記事を読んだ編集長が、1975年当時の記録の乏しさを思い出しながら、備えと偶然の関係について書く回。
■ 「カメラは止めなかった」という一文
今日の一面を読んで、何度も同じ一文に戻った。巡視艇の久保田さんが、距離を取りながらもカメラは止めなかった、という一文だ。怖かったはずなのに、記録することの方を選んだ人がいる。そういう人が、この街にはずっといる。
■ 1975年、誰も何も撮っていなかった
自分が新人だったころ、揺らぎが始まった年の社の資料を何度も読んだ。写真はほとんど無い。あったとしても、ピントが合っていないか、何が写っているのか誰にも説明できない代物ばかりだった。当時のカメラマンの先輩に聞いたことがある。「怖くて、構える手が震えた」と言っていた。震えた手で撮った写真は、今はどこにも残っていない。
■ 備えと、たまたまの間
今日の映像は、誰かが特別に備えていたから撮れたわけではない。いつも回している安全確認用のカメラが、たまたまそこに向いていただけだという。備えていたことと、たまたまだったことの間に、はっきりした線を引けないのが、この仕事の正直な感触だ。備えが無ければ、たまたまも拾えない。だが備えだけでは、たまたまは起きてくれない。
■ 震えなかった手について
久保田さんは、怖さより先にカメラのことを確認していたという。震えなかった手があった、ということだ。1975年に震えた手と、今日震えなかった手の間に、五十一年の時間が挟まっている。その時間の中で、この街は怖がりながらも記録する癖を、少しずつ身につけてきたのだと思う。
今夜もゆらりが机の上で湯呑みを抱えている。触角の先がかすかに光っているのは、今日も気圧のせいなのか、それとも別の理由なのか。相変わらず分からないが、こいつがいつも誰かのカメラの隅に収まっていることだけは、確かだ。